タイキシャトルのプロフィール
タイキシャトルは1994年3月23日にアメリカで生まれました。生産はTaiki Farm(米)、馬主は大樹ファームです。アイルランドで調教された後に、美浦の藤澤和雄調教師に預けられ、マル外(外国産馬であって、国際交流競走に出走する外国調教師の管理馬ではない馬)として扱われていました。
通算成績は13戦11勝、うちフランスでの成績は1戦1勝です。獲得賞金は6億1,548万円にのぼります。その功績から、1998年にはJRA賞最優秀3歳牡馬、1999年にはJRA賞年度代表馬、JRA賞最優秀4歳以上牡馬に選ばれました。2014年には外国産馬として初めてJRA顕彰馬に選出されています。
その活躍から海外でも高く評価され、1998年にはフランスの年度代表馬顕彰(エルメス賞)の最優秀古馬に選ばれています。
タイキシャトルはDevil’s Bag産駒で、母はウェルシュマフィン(父:Caerleon)です。Devil’s Bagは現役時代はアメリカで無敗の5連勝を飾り、エクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれる程の実力があった馬です。母の父Caerleonはアイルランドの種牡馬で、イギリス・アイルランドリーディングサイアーとして知られています。
タイキシャトルは名マイラーとして、現在でも名を馳せています。適性はマイルにあり、芝を得意としていました。また重馬場も得意で、1998年の安田記念では稀に見るほどの重馬場を力強く走り抜けました。
1997年、3歳時(当時の表記では4歳)はG2スワンステークス、G1マイルチャンピオンシップ、G1スプリンターズを連勝しました。マイルチャンピオンシップではキョウエイマーチ、ジェニュイン、ヒシアケボノ、シンコウキング、マイネルマックス、タイキフォーチュンのG1馬6頭、そしてサイレンススズカが名を連ねましたが、2馬身半の差をつけタイキシャトルは圧勝しました。
マイルチャンピオンシップを3歳で制した馬は1988年のサッカーボーイ以来でした。さらに、タイキシャトルはマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスを同年に制した初の馬となりました。
海外レースでの成績
フランス ジャック・ル・マロワ賞
1998年8月16日、タイキシャトルは第77回ジャック・ル・マロワ賞に出走しました。
このジャック・ル・マロワ賞とはフランスのマイル最高峰のひとつであり、ムーラン・ド・ロンシャン賞と並ぶほどのレースです。レースはフランス北西部に位置する、ノルマンディー地方のドーヴィル競馬場で開催されました。1600mの芝で、カーブがない直線のみという特徴的なコースです。
それまでに日本調教馬が出走したのは1986年のギャロップダイナのみ。その時の結果は13頭立ての12着でした。
しかし、タイキシャトルへの期待が最高潮に達する出来事が起こります。レース前週に、日本調教馬が同じ競馬場で初の海外G1制覇を果たしたのです。このモーリス・ド・ギース賞にはシーキングザパールが出走し、見事1着に入線。翌週のレースに出走するタイキシャトルの勝利を期待する声はすさまじく、「確勝」とまで言われていました。
当日、タイキシャトル出走時の騎乗は岡部幸雄騎手、斤量は59kgでした。しかし、レース前からハプニングが続出します。装鞍所でタイキシャトルが暴れ蹄鉄が外れ、装蹄していた装蹄師の志賀勝雄を蹴り、その様子により出走取消される危機さえありました。
なんとか無事にレースに出られたものの、前半はレース中によそ見をするなど、集中力が欠けた様子が目立っていました。レース後半になるとタイキシャトルは打って変わり、残り100mでアマングメンと並びました。そして半馬身差をつけてジャック・ル・マロワ賞を制覇しました。
この勝利にはトニー・クラウト調教師が大きく貢献したと言われています。クラウト調教師と藤澤調教師はイギリスで知り合い、当時すでに海外遠征の話を交わしていました。そのため、この遠征ではタイキシャトルのために日陰で静かな馬房を準備してくれていたのです。そのおかげでタイキシャトルは、日本から遠く離れたフランスであっても落ち着いて過ごすことができたと言われています。
そしてクラウト調教師のその馬房には、その後サンクルー大賞を勝つエルコンドルパサーやフランス競馬に4戦出走したナカヤマフェスタが過ごすことになるのです。
タイキシャトル産駒の活躍
タイキシャトルは1999年1月16日に登録抹消され、引退後は種牡馬となりました。初年度は110頭の繁殖牝馬を集め、その年の産駒であるウインクリューガーは人気薄にも関わらず、2003年にNHKマイルカップを勝利しました。
翌年には106頭、3年目には83頭と順調に数を集めました。ウインクリューガーの他、代表産駒としてメイショウボーラー(フェブラリーステークス、デイリー杯2歳ステークスなど)、サマーウインド(JBCスプリント、東京杯など)がいます。
タイキシャトルの偉業を抜く馬はいまだに出ていませんが、父譲りのマイル適性、そしてダートと芝ともに成績を残す産駒が目立ちます。
2017年に種牡馬を引退した後は認定NPO法人引退馬協会に引き取られ、28歳となった現在(2022年)でもフォスターホースとして人気を集め続けています。