エルコンドルパサーのプロフィール
エルコンドルパサーは1995年3月17日にアメリカで生まれました。生産者と馬主は共に渡邊隆氏です。美浦の二宮敬調教師のもと、通算成績11戦8勝を残しました。うち4戦2勝はフランスでのレースで、獲得賞金は3億7,607万円です。
キングマンボ産駒で、母はサドラーズギャル、母の父はサドラーズウェルズです。この血統はかなりの近親配合で、リスクのあるクロスだったと言われています。
エルコンドルパサーの適性は芝ですが、デビュー戦など2歳時はダートでも走りました。1600mから2400mの中〜長距離に強く、重馬場に強い馬でした。
強豪たちを下した成績から、1998年にはJRA賞最優秀3歳牡馬、1999年にはJRA賞年度代表馬およびJRA賞最優秀4歳以上牡馬に選ばれました。更には2014年にJRA顕彰馬に選出されました。
外国での活躍が目立つエルコンドルパサーですが、国内でも重賞の共同通信杯、G2のニュージーランドトロフィー、G1のNHKマイルカップ、ジャパンカップを勝利しています。外国産馬であるためクラシックに出ることはできませんでしたが、3歳時はJRA賞最優秀3歳牡馬となりました。
海外レースでの成績
4歳になった1999年、エルコンドルパサーはフランスに遠征します。騎乗は4戦すべて蛯名正義騎手が勤めました。
フランス・イスパーン賞
フランスでの初戦はイスパーン賞です。
芝の1850mのG1レースで、5月23日にロンシャン競馬場で行われました。エルコンドルパサーは1番人気でしたが、クロコルージュから4分の3馬身の差で2着入線となります。
最後の直線でいったん先頭に立つなど、大変盛り上がるレース展開の末の2着だったため、東京スポーツ新聞では「負けて強し」と報道されるほどでした。このレースの優勝馬クロコルージュは後のフォワ賞、そして凱旋門賞でも競うこととなります。
フランス・サンクルー大賞
次のレースは、当初はロイヤルアスコット競馬場開催のプリンスオブウェールズ、もしくはエクリプスステークスだと予想されていましたが、エルコンドルパサーは7月4日のサンクルー大賞に出走しました。
このG1は芝の2400mで、宝塚記念に相当するフランス競馬のレースと言われています。
古馬であるエルコンドルパサーの斤量は61kgと、今までのレースで背負ったことのない重さが課せられました。斤量に加え、走り慣れていないフランスの芝、2400mという距離などの条件が重なり、陣営に不安がありました。
さらに「近年最高のメンバーがそろった」と言われる程のライバルが集い、1998年フランスダービー・アイリッシュダービーを勝った全欧年度代表馬ドリームウェル、1999年凱旋門賞馬サガミックス、ドイツ年度代表馬タイガーヒル、ドイツダービー馬ボルジアが出走しました。
そんな強敵の中、エルコンドルパサーはこのレースで見事勝利し、競走馬としての最高の評価を与えられることとなりました。しかし、このサンクルー大賞でエルコンドルパサーは右後脚に外傷を負い、1カ月後に完治したものの調教の開始が遅れました。
フランス・フォワ賞
前哨戦にはフォワ賞の他、ムーラン・ド・ロンシャン賞への出走も考えられていました。しかしムーラン・ド・ロンシャン賞は1600mです。凱旋門賞の2400mとは大きく異なったため、フォワ賞が選ばれました。
フォワ賞は9月12日に開催され、3頭だけでのレースでした。芝の2400mのこのG2は凱旋門賞と同様ロンシャン競馬場で行われ、クロコルージュ、ボルジアが出走しましたが1番人気はエルコンドルパサーでした。
エルコンドルパサーが逃げ、一度ボルジアが先頭を奪うも再びエルコンドルパサーが差し、クビ差で勝利しました。エルコンドルパサーの1着入線によって、日本調教馬初のフォワ賞勝利となります。
フランス・凱旋門賞
10月3日、エルコンドルパサーはついに第78回凱旋門賞に出走しました。
前日から当日午前10時まで雨が降り続け、凱旋門賞史上最悪の不良馬場という状態でした。馬場硬度は5.1、1972年以降で最も柔らかい馬場であったと記録されています。
凱旋門賞に向けた調教により、エルコンドルパサーの体形は騎手も調教師も驚くほど変わっていました。その走り方はフランスでのレースに対応できるよう変化し、それに伴って筋肉の付き方も変わっていたと言われています。
レースでは最内枠スタートとなったエルコンドルパサーが逃げる運びとなりました。2馬身ほどの距離を保ちながらエルコンドルパサーは逃げますが、最後の直線でモンジューに差されます。それを一度エルコンドルパサーが追い上げましたが、半馬身差の2着となりました。
結果は2着でしたが、3着には6馬身差、4着には11馬身差をつけ、フランス国内でもエルコンドルパサーは高く評価されました。
エルコンドルパサー以前の日本調教馬は、凱旋門賞で着外・18着・14着という結果でした。そんな中でエルコンドルパサーが半馬身差の2着になったことで、日本の競馬ファンからは大歓声が起こりました。
エルコンドルパサー産駒の活躍
エルコンドルパサーは2000年に種牡馬となりましたが、2002年に3年目の種付けを終えた後、腸捻転によって死去しました。産駒がデビューする前であり、まだ7歳の若さでした。
初年度に137頭の繁殖牝馬を集め、2年目は158頭、3年目には154頭に種付けしました。産駒にはヴァーミリアン(川崎記念2勝、JBCクラシック3連覇、ジャパンカップダート、東京大賞典、フェブラリーステークス、帝王賞)、ソングオブウインド(2006年の菊花賞優勝馬)、 アロンダイト(2006年ジャパンカップダート)がいます。
ヴァーミリアンは日本記録を立て、トウカイトリックは最高齢タイ記録を樹立しました。またトウカイトリックは最後のエルコンドルパサー産駒として走り続けましたが、2014年に引退しました。